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日本画 奥村厚一

奥村厚一

日本画家・奥村 厚一(おくむら こういち)は1904年(明治37年)に京都市北区で生まれた風景画を得意とした日本画家である。1923年(大正12年)に京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学し、卒業後は同学校で教鞭を揮い教授から名誉教授まで勤め上げた。1946年(昭和21年)には、第2回日展において「浄晨」が特選を受賞。 翌々年には秋野不矩、上村松篁ら13人のメンバーで創造美術 (現 : 創画会)を結成。この頃から作風は一転し、それまでの繊細で清澄な作風から、自然の律動をとらえて形象化した力強い作風へと変わって行った。

目には見えないものの表現に拘った作家

大きな作品はもとより、画板を携え野山を駆け巡っていた頃のスケッチにも味わい深い趣がある。当時を知る人によれば「とにかくよく見るひとだった」と言うとおり、なによりも自然を愛した画家である。奥村が見極めようとしたものは、雨や雪、雲や風といったものが多く、それを写実的に捉えるのではなく気配とか空気感とでも言うような目には見えないものの表現に拘った作家である。彼自身の言葉に「絵は方便みたいなもので、いつも野山を巡り、自然にただ身をよせていたかっただけ」とあるように、実にこよなく自然を愛した画家である。彼が愛し見つめ続けた風景は、数多くのスケッチとして遺されている。晩年の椿の花のスケッチなどは椿の様々なな咲き様を艶やかに描きとめていて、すでに完成作品かと見まがうほどに見事なスケッチとなっている。海外での山や街並みのスケッチも数多く、アルプスのスケッチなどはまるで眼前に立って見ているような錯覚を覚えるほどみごとである。日本の山や木立そして草花など実に良く描きとめてあり、いかにこうした自然のありように心を惹かれていたのかが手に取るように感じられる。 大きな作品のひとつ「一期一絵」は2曲屏風絵であるが、描かれているのはオランダの畑の向こうに並んでいる赤い屋根の家々なのだが、画面の大半はいまにも夕立が来そうな雲の渦巻くさまで、見る者をして思わず息を呑むような気配が漂っている。それにしてもタイトルが「一期一会」ではなく「一絵」としたところに、作者の心の大らかさを感じてしまうではないか。